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週末少年に戻る街ぶらer
都内にて単身赴任中。

週末は、有り余る時間をよいことに(?)、都内・関東近隣の名所・見どころ、ご当地グルメ、スイーツ店などを街ぶら歩き。

特に発祥ものや三大〇〇、古事記ゆかりスポット、史跡が大好物。

時にはレンタカーで関東・東北・北海道等の各地へ一泊二日で街ぶら。

そんな私がおすすめする、気軽に、リーズナブルに楽しめる街ぶらルート・しおりを紹介。

吉田松陰先生終焉の地 日本橋(人形町・小伝馬町・宝町)の街ぶら 2023.6

今回の街ぶら、日本橋にある吉田松陰の足跡を目指します。人形町で東京三大たい焼きをいただいた後、小伝馬町にある牢屋敷と処刑場跡・松陰先生終焉の地へ。遅い食事には日本橋宝町にある江戸前天丼の超人気店。

この記事のポイント
  • 人形町から吉田松陰ゆかりの地・小伝馬町、宝町を巡る街ぶらルート
  • 見どころ
    • 明治維新直後、参議就任時代の西郷隆盛の屋敷跡
    • 伝馬町にある松陰先生終焉の地と、辞世の句
  • グルメ
    • 東京三大たい焼き(人形町の柳屋)
    • 京粕漬けの魚久本店
    •  江戸前天丼の名店、金子半之助 日本橋総本店
目次

人形町

こちらから街ぶらスタート。

西郷隆盛屋敷跡(明治維新直後の参議就任時代)

明治維新の直後、西郷隆盛は明治4年(1871年)に参議に就任し、明治6年(1873年)の政変までの約2年間、こちらに滞在していたという。当時、人形町の屋敷近く、日本橋にあった千疋屋に好みのスイカをよく注文していたらしい。

西郷隆盛はその後、明治10年に西南戦争を起こし自害。享年49歳。

屋敷跡地は、現在は小学校。

西郷隆盛と勝海舟の江戸無血開城に導いた談判跡地への街ぶらこちら↓。

魚久 本店

百貨店などで、京粕漬けが人気の魚久。こちらが本店。ランチは平日のみ。粕漬は土曜日にも販売している。お得な切り落としを買うには、8:40に店舗入口前にて配布している整理券の入手が必要(先着20個)。

高級鯛焼本舗 柳屋 創業大正五年(東京三大たい焼き)

こちら東京三大たい焼きの一つ。人気店。当然、天然。皮は薄めでパリパリ、餡がぎっしり。あわてて食べると確実に舌をやけどする。12:30からの販売で長蛇の列が目印。

伝馬町

十思公園

日本橋小伝馬町にある十思公園。こちらが吉田松陰ゆかりの地。

横須賀の浦賀で黒船を視察し、異国に行くことを決意した吉田松陰。嘉永7年(1854年)に伊豆半島の下田から密航を計画するが失敗。幕府に捕らわれ、出身地である山口県の萩の野山獄に収監される。(翌年に釈放)

実家の杉家にあずけられた松陰は伯父・玉木文之進の松下村塾を受けつぎ、久坂玄瑞など多くの志士を育てた。

1858年、幕府が天皇の許可なく日米修好通商条約を結んだことに激怒し、老中の暗殺を計画するがこれも失敗、再び野山獄に収監される。安政の大獄として尊王攘夷派や一橋派の大名・公卿・志士らが処刑されるさなか、吉田松陰は江戸に送られ小伝馬町の牢屋敷に投獄、安政6年(1859年)10月27日に処刑された。享年30歳。

辞世の句、「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも、留め置かまし大和魂」はあまりにも有名。

旧伝馬町牢屋敷と処刑場跡

江戸時代に囚人などを収容。こちらに吉田松陰が収監された。多数の監視員が松陰の教え子になった、というエピソードを残している。

松陰先生終焉の地

石碑に吉田松陰先生の辞世の句が刻まれている。

杵屋勝三郎歴代記念碑(江戸長唄三味線の名家・杵屋の記念碑)

十思公園内には、他に江戸時代に活躍した長唄や三味線の一派を成す名家、杵屋の家名を伝える記念碑があった。

日本橋 天丼 金子半之助 日本橋総本店

江戸前天丼。サクサクでタレが濃い芽。遅い時間でもどえらい並んでますがさすがに美味。「がりごぼう」と「いぶりたくあん」、「黒豆茶」も、よい。

東京駅

こちらで街ぶら、終了。

今回の行程マップ

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