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週末少年に戻る街ぶらer
都内にて単身赴任中。

週末は、有り余る時間をよいことに(?)、都内・関東近隣の名所・見どころ、ご当地グルメ、スイーツ店などを街ぶら歩き。

特に発祥ものや三大〇〇、古事記ゆかりスポット、史跡が大好物。

時にはレンタカーで関東・東北・北海道等の各地へ一泊二日で街ぶら。

そんな私がおすすめする、気軽に、リーズナブルに楽しめる街ぶらルート・しおりを紹介。

南千住から、かつての遊郭・吉原の名残りを巡る街ぶら

今回の街ぶらは南千住駅からかつての遊郭・吉原へ。南千住では、松尾芭蕉の奥の細道への旅立ちの記念碑、地元のソウルフードの人気店のコッペパン。吉原エリアでは、かつての遊郭の名残の地を巡る。

この記事のポイント
  • 松尾芭蕉・奥の細道への旅立ちの南千住から、かつての遊郭・吉原エリアへの街ぶら歩きのルート
  • 見どころ
    • 松尾芭蕉の「奥の細道 矢立初めの地」
    • 「山谷のドヤ街」に立つ、あしたのジョー像
    • お歯黒のどぶの石垣跡
    • 吉原遊廓の入口(吉原大門跡地)と、見返り柳
    • 吉原遊郭の鎮守、吉原神社
  • グルメ
    • 青木屋(地元のソウルフード、コッペパン)
目次

南千住駅

こちらから街ぶらスタート。

松尾芭蕉像奥の細道 矢立初めの地)

こちら南千住駅前にある、松尾芭蕉の奥の細道・陸奥への旅立ちの記念碑。実際の記念碑は、川を渡った千住大橋公園内に、奥の細道600里の旅の始まりの句を詠んだといわれている場所がある。

松尾芭蕉は1689年(元禄2)年、弟子の曾良を伴って深川(江東区)から船で遡上して千住(足立区)に降り立ち、陸奥へと旅立。

なお、「矢立初」とは、旅行記などの書き初めの意。

元祖 青木屋(地元のソウルフード、コッペパン)

こちらが看板商品のコロッケパン。パンは長さが20㎝のビックサイズ。しっとりとやわらかく、コロッケはなめらか。ソースのアクセントがよい。

コロッケの他にはハムカツ、メンチ、トンカツ。早朝から5~6人ほどの列。昼過ぎには売り切れるので確実にいただくなら早朝の来店がよい。

昭和32年(1957年)創業。(写真は2023.07撮影)

吉原エリア

あしたのジョー像

いろは会商店街の吉原側、あしたのジョーの舞台、「山谷のドヤ街」に立つ、あしたのジョー像。

設置は2012年なので、けっこう年期が入ってる。

台東区立吉原公園

江戸時代、かつて三大妓楼の一つ「大文字楼」があった場所。「おはぐろどぶ」と呼ばれた吉原遊郭の外周堀跡に面している。

なお、「おはぐろどぶ」とは、遊女の逃亡を防ぐため,江戸新吉原遊郭の周囲にめぐらした溝。おはぐろぼり。

お歯黒のどぶの石垣跡

かつてのおはぐろどぶ、の名残はこちらのみ。

吉原大門跡地(吉原遊廓の入口)

かつての吉原遊廓への入り口「吉原大門跡」。廓と外の世界の境目。こちらから遊郭内部へ。

見返り柳

入口あれば、出口あり。

遊廓からの帰り道、柳のあるこのあたりで名残を惜しんで後ろを振り返ったことが名の由来。

きぬぎぬの うしろ髪ひく柳かな」

旧浅草新吉原角町

幕府は日本橋葺屋町東側(現日本橋人形町二丁目付近)に江戸唯一の遊郭開設を許可。

翌年、遊郭の営業を開始、葭の茂るところを埋め立てた場所であったことから、はじめのころは「葭原」と呼ばれたが、「葦=悪し」に通じることから、寛永三年(1626)に縁起のいい文字、吉原となった。

明暦二年(1658)、吉原を浅草日本堤へ移転するよう命じられ、翌三年に移転。それからこの付近は「新」吉原と呼ばれるようになった。

日本橋に開設されたころの吉原は江戸町一丁目、二丁目、京町一丁目、京町二丁目、角町の五カ町であった。

そのうちの「角町」は、寛永三年に京橋角町の傾城屋約十軒が移転してできた町、とのこと。

吉原神社(吉原遊郭の鎮守)

吉原遊郭の鎮守。明治八年(1875年)、こちら新吉原に祀られていた5つの稲荷社が合祀され創建。祀られている神様は女性の願い事を叶えてくれると、遊女からの厚い信仰があったといわれている。

お穴様

地中の神様、神社の土地をお守りしている。

新吉原花園池(弁天池)跡

関東大震災で亡くなった方々を慰霊する観音像。

花吉原名残碑

吉原遊郭の歴史を永く止めようと昭和35年に地域有志によって建立された石碑。

今回の行程マップ

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