今回の街ぶらは高輪・泉岳寺エリアにある赤穂浪士の足跡をめぐる街ぶら。その中心は赤穂浪士の墓がある赤穂藩の浅野家菩提寺の泉岳寺。
旧暦の元禄15年旧暦12月14日、47人の赤穂浪士が吉良邸に討ち入りし悲願である主君の仇討ちを果たしました。この日を偲んで泉岳寺をはじめ各地で「義士祭」が行われています。そんな12月に訪れてみました。
高輪
松島屋

赤穂浪士には関係ありませんが、各史跡へ巡る前にまずは三大豆大福のこちらへ。後で買おう、となると売り切れの可能が大。だいたい午前中には売り切れるので買うなら早めがよい。

大石良雄等自刃の跡の碑

泉岳寺に行く前、こちらから赤穂浪士の各史跡を巡ります。なお、こちらは切腹した場所ではありません。
大石内蔵助 外十六人忠烈の跡

このあたり一帯は熊本藩の細川家下屋敷跡。大石内蔵助ら17名は幕府の命により細川家預かりとなり、こちら高輪の下屋敷にて保護されていました。旧暦の元禄16年2月4日、幕府から切腹の沙汰があり、その日のうちに全員がこの場所で切腹。施錠されていて中には入れませんが、窓から中の様子が見られます。
旧細川邸のシイ

現存する熊本藩細川家の下屋敷にあった巨木。
泉岳寺
泉岳寺 中門

こちらから泉岳寺山門に向かいます。
大石内蔵助良雄銅像

山門の横。連判状を手にし、江戸方面をじっとにらんでいる大石内蔵助の姿を表している、とのこと。
山門

こちらから境内に入ります。
泉岳寺




もともと泉岳寺は徳川家康が外桜田(現在の警視庁近く)に創立した寺院。寛永の大火によって焼失、後年に毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の五大名に命じ、こちら高輪に移転。これを契機に浅野家と泉岳寺の付き合いがはじまる。浅野家の菩提寺、赤穂浪士のお墓があるお寺として有名。曹洞宗。
血染の梅·血染の石

浅野内匠頭が切腹した際、その血がかかったと伝えられている梅と石。
首洗い井戸

討ち入り後、吉良上野介の首級をこの井戸水で洗い、主君の墓前に供え報告したことから命名。
浅野長矩及び赤穂義士墓所門


浅野家の鉄砲州上屋敷(現・聖路加病院)の裏門。明治時代に移築。
泉岳寺 長矩公夫人之墓

浅野長矩公之墓

赤穂義士墓所




義士が切腹した後、この地に埋葬されました。こちらに入るには線香代が必要(300円)。
高輪
ブーランジェリー セイジアサクラ



各地を巡った後は、食べ歩きにこちら人気のカレーパン。焼きタイプなので罪悪感なし。だいたい混雑してますがおすすめ。
高輪大木戸跡

東海道、江戸の玄関口。もともとは現在地よりも700mほどの北側に設置されていたものが、宝永7年(1710年)にわざわざ現在地へ移転された。当然、江戸へ向かう旅人は大木戸が開くまでの間、足止めをくらい、泉岳寺へ立ち寄る。そうなると赤穂浪士のお墓を見て、赤穂浪士の物語に感動し、自然とその物語が各地に広まる。それを狙っての移設、との説が面白い。